2015年7月13日月曜日

****無***

河を渡るとき、自分の舟が空っぽの舟にぶつかったら、

たとえ短気な人であろ
うと、大して怒りはしない。

が、もし舟の中に誰かいたら、しっかり舵を取れと、大声で怒鳴るだろう。

もしその声が聞こえないようだったらまた怒鳴る。

そしてまたののしりが始まる。
...
これすべてその舟に人が乗っていたからのこと。

もし舟がからっぽであったなら、その人は怒鳴りもしないし、腹を立てること
もない。

もしあなたが自分の舟を空にできたら、世間の河を渡っていくとき、誰もあな たには向かいはしない。誰もあなたを傷つけようとしない。

まっすぐ立つ樹は一番はじめに切り倒される。澄んだ泉水は一番はじめに飲み干される。

もし自分の知恵を深め、無知を恥とし、自分の人格を養って、他に勝ろうと欲するなら、あなたのまわりは光で輝くだろう。あたかも日と月を呑みこんだか のうように。

そうなったらあなたは災いを避けられない。

賢者は言った。


  自分に満足している者は無益なことをしてきた者。成就は失敗の始まりだ。名声は汚名の始まりだ。誰が成功と名声から自由になり、群集の真ん中に降り立って、消えることができようか?

その人はタオ(道)のごとく流れる。見られもせず。

その人は「生」そのもののごとく動き回る。名もなく家もなく。

  単純でいてこそあれ、分別はなく、どこから見ても愚者そのもの。
その歩みは足跡を残さない。

  力もない。何ひとつ成就することなく、どんな評判もない。

  誰を裁くこともないゆえに、誰ひとり彼を裁きはしない。

そんな人こそ完璧な人。
その舟は空っぽだ。

虚空こそ航路、指標、すべてとなるものだ

明日の朝から、自分で見つかるものすべてを空っぽにしてごらん

  みじめな気持ち、怒り、自我(エゴ)、嫉妬、苦しみ、痛み、快楽、見つかる
もの何でもだ。

すべて投げ捨てなさい。どんな区別もしないで。選択など一切しないで、ただ
自分を空にするがいい。

そしてあなたがトータルに(全面的に)空っぽになったとき、突如としてあな
たは自分が「全体」であることを、「すべて」であることを見るだろう。

虚空を通じて「全体」が達成される。

あなたの舟が空っぽになったときには衝突しなくなる。

  葛藤も、怒りも、暴力もいっさいなくなる。
何もなくなる。

このないことこそ天恵だ。

この無こそ祝福だ。

この無こそ、あなたが探しに捜し求めてきたのだ。

瞑想とはまさに空っぽになること、「なんでもない人」になることだ

荘子(Chuang Tzu) 虚空の舟 

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